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ファインピーク物語

このお話は、1997年2月に那須トレーニングファーム所属馬第一号だったファインピーク号(北海道産サラブレッド セン 父:コダマ)が亡くなった時にクラブの会報として出したものです。

広田健司の夢であった乗馬クラブ「那須トレーニングファーム」創設期の大功労馬であった同馬と広田ファミリーとの人馬の交流の中で、大恩人である金田哲太郎氏やたくさんの方々に助けられて、一つ一つ夢を実現していく姿をファインピークの馬生を通じて表しました。

17年も前に書かれたものなので読みにくい箇所が多々ありますが、広田の破天荒な人生の一端という事でご容赦・ご笑覧頂ければと願います。

平成26年7月28日

那須トレーニングファーム

広田 龍馬

(なお、表紙の写真は 5歳の広田龍馬とファインピークです)

ファインピーク大往生

訃報_______。さよならミスターNTF。ファインピークよ永遠に・・・

去る1月4日の早朝、今年で29歳になったファインピークの容態が急に悪化し足腰が立たなくなってしまいました。スタッフ全員が徹夜で看病し、一晩は元気を保ち、食欲もあり良化する様に思えたのですが・・・。明くる5日の午後、天に召されました。

享年29歳、人間の年齢にすると117歳という高齢で前日からジュニア合宿に来ていた子供達やスタッフ一同、長年のパートナーである社長夫妻、高橋峰子さん、優美ちゃんら大勢に見守られて安らかに永遠の眠りにつけた事はファインピークにとって、とても幸せだったと思います。

ファインピークは今から20年前、NTF代表 広田健司が那須トレーニングファーム設立前に兵庫にいた頃に巡り合った馬で、この流星鼻梁鼻白の美しい栗毛馬がNTFの一員となったのにはこんないきさつがありました。

☆ラッセルとファインピーク☆

当時、会社勤めだった広田は給料の半分以上を馬に注ぎ込んでいて、広田が師と仰ぐ足立さんという人からサラリーマンでは考えられない様な高い馬を買いました。

馬の名前はラッセル。雄大な馬体を持ったその馬は威風堂々として素晴らしい馬でしたが、国産のサラブレットで、まだ競技会に1回も出場した事がない馬だったのでラッセルを高い値で買った広田を大勢の人が「それだけ高いお金を出したら外国産馬でもっとよく飛んでいる馬を買えるぞ。」とか「国産馬をそんな高い値で買うなんて信じられん。」とか「お前、その足立さんに騙されたんじゃないのか!?」と罵りました。

しかしそんなたくさんの罵声の中で金田先生(現大阪馬連副会長)だけが「広田君!ようやった!!この馬は女房を質に入れてでも買う馬や!!」と絶賛してくれたのです。

足立さんは広田の師だけあって馬に関しては天才的であり、ラッセルに関してもその馬が持つ能力を見抜いて正しい評価をしただけですが、周りの人々は馬の血統やらネームバリューばかりに気をとられて馬を見る目を曇らせていた様です。

そして周りの戯言には耳をかさず、真実の馬を見抜いた広田と金田先生はお互いをよく認め理解しあい、広田がいよいよ北に乗馬クラブを作ろうという時に金田先生が「広田君、自分の追おうというのか、よく解った。しかし現実的に金がいるやろう。どうだラッセルを私に売ってくれんか!?私はラッセルの価値をよう知っとると思うとる。しかし馬が全くいなくなるのも乗馬クラブを始めんとする者にとっては問題や、私の所に1頭良い馬がおる。その馬と半分交換で残りをお金で支払うというのはどうや!?」と言いラッセルを高い値で買い取ってくれました。

そして代わりに1頭の綺麗なサラブレットがやってきました。競走馬で夢の特急と呼ばれた名馬コダマの血を引くその馬は広田の娘である晴美の「晴」と峰子の「峰」をとって「晴峰」、そう、皆さんご存じの「ファインピーク」と名付けられました。

☆NTFの主!!ファインピーク☆

ファインピークはとても頭が良く広田のいう事を何でもよく覚えました。馬体も美しく、歩様も良く障害飛越姿勢も素晴らしいこの馬は、馬事公苑での「新馬場馬術大会」で新馬障害飛越競技、新馬馬場馬術競技の両方にいきなり優勝して周囲の人々を驚かせました。

しかし何といってもファインピーク最大の特技は広田が足立さんから教わった自由飛越でした。広田が声をかけて障害を指さすとまるで人が乗っているかの様に確実に飛越し、広田が手を回すだけで回転し、声だけで停止、発進する様は馬と人間という関係を越えて心の通じ合う「パートナー」という他なく、それを見ていた人々を驚愕させました。しかもファインピークは広田の声でしか動かず、他の人が乗っていても広田の声で勝手に動いてしまう程なのです。それ程までに心通わせた二人ですから、当然たくさんの人がファインピークを欲しがっても広田は決して売りませんでした。

そしていよいよ栃木に乗馬クラブを作ろうと神戸から移動したときに引っ越し荷物と一緒に那須の地にファインピークもやって来たのです。那須の地に来てから広田は日夜乗馬クラブを作る為に作業に明け暮れピークに乗る暇もなかった為、ファインピークは広田の為に手伝いに来てくれる学生やお客さんの練習馬になっていました。しかしその溢れんばかりも気品は多くの人々を引きつけ、那須トレーニングファームオープンの時にもお得意の自由飛越を披露し、人々を驚嘆させ名実共に「NTFの顔」、「NTFの主」として君臨していったのです。

☆受け継がれるファインの精神☆

現在の地に引っ越してからもファインピークはみんなのお父さんとしてたくさんの人や馬の面倒を見て来ました。現在の牧場長 月岡健二しかり、オールレディースチャンピオン高橋峰子さんしかり、ワンダー、シャイニングパートナー、チビの三兄弟など那須で生まれた馬や那須で育った人全員の先生として那須トレーニングファームには無くてはならない存在になったのです。

マックスゲッターを育てた阿久津則良さんも「社長がファインピークを指だけで自在に障害を飛ばせるのを見て感動した。私もゲッターとあの様なパートナーシップを作りたいと思った。」と言い、くる日もくる日もマックスゲッターに自由飛越を教えて会得し、人間の声と指だけで自由飛越するという伝統は今もファインピークからゲッターへと脈々と受け継がれています。試しにご覧になりたい方はマックスゲッターのオーナーの岩渕多恵子さんに聞いてみてください。きっとビックリしますよ!!

それから自由飛越についてこんな話があります。現役を退き悠々自適の生活を送っていたファインピークにある日突然、広田が「ファイン、障害飛ぶぞ!!」といって馬場に連れ出しました。5年以上もブランクがあったので皆「出来るわけがない」と思っていたのですが、なんとファインピークはちゃんと憶えていて老いた体に鞭打って一生懸命広田の言う通りに動いたのです!その姿は見ているものに感動を与えました。しかし5回くらい飛ぶと疲れて頭のいいファインピークはあっさり障害の横をすり抜けてしまい観客をズッコケさせました。

そして乗馬クラブ部門が新たに設立されてファインピークは仙台育英の引馬などで頑張っていたのですが頭の良い彼はすぐにゴロンと寝てしまったり、居眠りするので現役から退き、普段は放牧され、休馬の日には放し飼い、というまさに悠々自適の生活を送りながら那須トレーニングファームの”主”として乗馬クラブと牧場を見守り続けたのです。

☆_____運命_____Destiny_____☆

ファインピークが現役を退くのとほぼ同時に1本の電話がかかりました。「広田君、本当に凄い馬がいる。今すぐ買いに来たまえ。」みんなに散々悪口を言われたラッセルの真の実力を見抜いて買ってくれ、ファインピークをくれた金田先生から実に10年ぶりぐらいに突然電話がかかってきたのです。広田はラッセルの事柄から金田先生の馬を見る目を信じていたので二つ返事で馬も見ないで三重まで馬運車でその馬を買いに行きました。

その馬は栗毛でバランスの良い体つき、外から見た目は静かでも内に秘めた闘志は怒髪天も衝く勢いで広田が跨った途端「怖い」と背筋を凍らせる程でした。

実はこの馬は気性が激しく誰もコントロールできず、人間が乗っただけで興奮して常脚もできなくなってしまい、障害に向けても直前で嫌がりビターンと止まって何人もの人を落とし、小障害でも失権していたので3年間もの間売りに出されていたのですが「気狂い馬」と言う名のレッテルを貼られ、誰も買わなかった馬なのです。

しかし、広田の目にはその馬がラッセルとだぶって見えました。「気性は激しそうだがバランスの良い馬格を持ち、ただならぬパワーを持っている。ラッセルは私がまだ技術がなく、仕事も忙しかったのでその素質を開花させる事が出来なかったが、この馬はラッセルの分まで何とかしたい!」と皆に散々言われたラッセルを素質開花させられなかった悔しさが熱い思いとなって込み上げてきました。

「よろしい、この馬を頂きましょう。」

それから毎日この馬と広田の闘いが始まりました。広田が跨るとこの馬は興奮して常脚せず走り出そうとします。普通なら手で引っ張って止めるのですが広田は考えました。「この馬は人間が乗った途端走り出すという事は人間を嫌っている。たぶん今まで乗っていた人々が無理やりコントロールして力で引っ張り回していたから人間を信用しなくなったのだろう。それならば無理やりコントロールしようとしないで人間は絶対引っ張らないという事を解らせ、リラックスして人間を信頼させる事がこの馬の能力を最大限に発揮させる方法のはずだ!!」

くる日もくる日も広田は手綱をゆるくして常脚だけを続けました。走り出そうとしても絶対手綱を引っ張らずに声をかけ、リラックスさせて根気よく常脚だけを半年間も続けました。

すると心をかたくなに閉ざしていたこの馬は「あれ!ここの人達は本当に引っ張らないのかな?信用してもいいのかな?」と徐々に心を開き始め、完全に心を開いた時、その馬はあらゆる難関を越え、広田の息子と共に正に龍が天に昇らんかの如く国体、全日本大障害と優勝し、ついには世界の頂点ボルボワールドカップに出場するまでに昇りつめたのです。

そう、その馬の名は「MAN OF GOLD」

技術が足りなかった為に素質開花させられなかったラッセル、あまりの忙しさに競技馬としての能力を埋もれさせてしまったファインピーク、この2頭を物に出来なかった悔しさが、息子とマンオブゴールドを世界クラスまで素質開花させる事によって昇華されたのです。

足立さんと金田先生と広田、ラッセル、ファインピークというつながりは運命の糸によって十数年の時を経て広田の息子龍馬とマンオブゴールドの絆という形となって今、ここに蘇ったのです。これを運命といわずに何と呼ぶのでしょうか。

この運命のつながりはこれからも脈々と受け継がれていく事でしょう。龍馬とゴールド、又更なる未来に向かって・・・。

☆・・・そして、伝説へ・・・☆

那須トレーニングファームの創設期からずっと見守り続けてきたファインピーク。

広田とずっと苦楽を共にしてきたファインピーク。

広田の努力によって発展し続けてきた那須トレーニングファームと共に、夢を1つ1つ実現させる度に喜びを分かち合ったファインピーク。

競走馬育成場と乗馬クラブ、インドアに坂路にプール・・・等、施設も日本一と誇れるものになり、内容の方も小さい頃からファインピークが面倒を見ていた月岡健二が立派に牧場長を務めており、障害レース、調教では日本一と言われるまでになりました。

乗馬クラブではワールドカップに出場するまでになった広田龍馬を中心に若いスタッフが中心になってこのNTFをより良くしようと一生懸命取り組み始め、ファインピークは「やっとこれでわしもお前らに任せて安心して休める」と思ったに違いありません。

最後にファインピークが眠りに着く前に「お前らはまだまだ心許無いが一応やる気だけはあるようだから後は任せたぞ。わしは本当に幸せな一生を送った。広田と共に大変だが楽しい時代を過ごした。これからはお前らが頑張ってこの那須トレーニングファームを発展させて行け。わしはずっと見守っておるからな・・・。」と若いスタッフに語りかけ「広田、本当にありがとう。わしはお前と巡り合えて本当に幸せだったよ・・・。」とそう言い残して静かに永い眠りに入りました。

ファインピークの死によって那須トレーニングファームの創設、発展という1つの時代が終わりました。しかし、1つの時代の終わりはまた新たな時代の始まりでもあるのです。ファインピークはきっと若いスタッフの情熱を見て新たな時代に夢を託そうと思ったのでしょう。

肉体は滅びても魂は永遠です。ファインピークの精神は私達の心に受け継がれずっとみんなの心の中で生き続けるのです。そして私達はこれからもずっとファインピークの意思を継いで新たな世界を切り開かなければなりません。

でも絶対に大丈夫です。何と言ったってファインピークが那須の大地と一体となってこれからもずっと那須トレーニングファームを見守ってくれているんですから。

ありがとうファインピーク。

那須トレーニングファームの原点

私達はこれから何があっても貴方の教えてくれた精神をしっかりと胸に刻みこの那須トレーニングファームを前進させて行こうと思います。天国で見守ってくれている貴方に笑われないように・・・。

本当にお疲れさま、ミスターNTF、貴方の事は伝説として永遠に語り継がれるでしょう。

あなたと共にあったこの那須トレーニングファームがある限り_______。

私達の心の中に貴方が生き続ける限り_______。

永遠に_______。