今年も山梨県の小淵沢で、10歳から22歳までの、馬術の甲子園とも言える「全日本ジュニア障害馬術大会」が開催されています。
全国の若きライダーの登竜門ともいえるお祭りみたいな大会で、未来ある若者のキラキラとした青春がつまった私の大好きな大会でもあります。
そこに、ヤングライダーとして、昨年準優勝した私の姪にあたる高橋優美選手が、那須トレーニングファーム代表として、ヤマト、やっくると言う日本を代表する馬に騎乗して頂点を目指して参加しています。
ヤマトは北京オリンピックに出場した日本にいる唯一のオリンピックホースですし、やっくるも昨年急成長してJRAホースショーのグランプリを含む大障害6連勝をした日本を代表する名馬です。
今でこそ、那須トレーニングファームにはこの様な日本で1、2位を争う馬が2頭も揃っていますが、ここにくるまではとても長い道程と物語がありました。
今回はそのお話をしたいと思います。
資産家でもなく、トヨタのセールスマンを脱サラして、自分達の体一つで、那須の山を切り開き、一代で日本有数の競技場を作り上げ、そこでオリンピック選手とインターナショナルの大障害馬を育て上げた那須トレーニングファーム創始者広田健司と、二人の夢の為に常に健司を支えて尽くしてきた妻の弘子。
二人は那須の地に移り住み、山を切り開きながら筆舌に尽くし難い苦難を乗り越え、二人で心を一つにして一心不乱に働き尽くしました。二人の、たった一つの夢の為に…
その、二人のたった一つの 夢とは……
「外国産馬に乗る事」
です。
サラリーマンの息子であった健司が初めて馬に出会ったのは明治大学馬術部で、大学卒業後埼玉国体の選手としてトヨタのサラリーマンと二足のわらじをはき、運命の馬、「三峰」にであい国体選手として活躍していましたが、三峰は県有馬でアングロアラブの小柄な牝馬でしたので中障害以上は無理でした。
国体でよい勝負をしていた同期の財力のある選手達は、自費で能力のある外国産馬を買い、大障害や国際大会に出てオリンピックにまで行って、とても健司のての届かない所に行ってしまったのです。
「ちくしょう、外国産馬を買える財力さえあれば、俺も決して負けないのに…」
健司はとても悔しい思いをし、自分の夫は日本一だと信じてやまない弘子も涙を流しました。
そして、その時の悔しさと、運命の馬三峰との死別がきっかけとなり、二人は脱サラして夢の為に死に物狂いで努力したのです。
そして1986年、ついに二人が初めてドイツ産ハノーバー種の若い外国産馬を購入しました。馬が来た時、二人は固い握手をかわしたそうです。
…その馬の名は「グランドピーク」…
三峰の「峰」から取って「ピーク」、「グランド」は、大きい。
つまり、三峰が行けなかった大きな障害、大きな夢に連れて行ってくれる馬として、「グランドピーク」と名付けられたのです。
現実に6才で日本に来たグランドピークは、その後那須トレーニングファーム初の大障害馬に成長しました。
そして、グランドピークから14年後の2000年、二人がもっていた、その夢を息子の龍馬が受け継ぎ、マンオブゴールドと言う龍馬にとっての運命の馬に導かれ、広田家の悲願であったオリンピックまで行きました。
そして今!初の外国産馬購入から24年、沢山の人の協力を受け、健司は自分の持ち馬として「理想の馬」という、2頭目のオリンピックホースとなる「ヤマト」を有する様になり、健司の親友で理解者である亀田幸雄氏が「やっくる」という日本を代表する名馬を供与して下さり、自らが果たせなかった夢を、今度は長女「峰子」の娘、健司、弘子の孫である優美に託している。
3代にわたる広田健司、弘子夫妻の執念の結晶であるヤマト、やっくるが、天才的なセンスをもっていた長女峰子の血を引く優美によって、どの様に昇華されるのか楽しみでならない。
祖父母の夢を背負い、私の姪、優美は明日、決勝でどんな夢を見せてくれるのだろうか………。





























